鼓
鼓さん (8whh8cec)2023/11/2 23:42 (No.77735)削除【シスコンになった理由的なやつ】
普通の弟というものは、ある程度の歳になれば必然的に『お姉ちゃん』から『姉さん、姉貴』になり、会話がそっけなくなったりするものである。ましてや姉と休日デートなど1ヶ月に1回するかしないかであろう。だが彼は違った、姉を心の底から慕い敬愛していた。呼び名も幼い頃から変わらず『お姉ちゃん』であり、休日は必ずデート。姉が他人との予定で出掛けると言うなれば面白くなさそうな顔をし、その日1日機嫌が悪くなる。家にいる時は姉にべったりくっついて離れず、姉がソファーに座っていればその隣に、料理をするなら手伝いをしながらさりげなく姉の傍に、トイレや風呂にもついて行こうとして毎度姉に怒られている。それでもめげずに毎日ついてまわるのだ。姉も呆れてしまって、姉弟としての一線を越そうとしない限りは好きにさせていた。
「巴はどうして私に固執するわけ?」
珍しく姉がブチ切れた日。姉はイライラしながら彼に問いかけた。確かに彼のその執着は誰もが引くほどのもので、そのせいで姉は恋人どころか酷い時は友達すら作らせてもらえなかったことがあった。それを何とか言いくるめて、友達を作ることだけは許可を得たが、なぜそこまでして独占したいのか姉には分からなかった。それに彼は驚いた顔をして姉を見つめた。その目は『覚えていないの?』と訴えており意味が分からない姉は彼を見つめ返した。
幼い頃、彼は今と変わらず姉について回っていた。というのも当時彼はまだ7歳。姉は9歳でその歳の姉弟であればよく見る光景だった。公園で遊んでいたある日、些細なことで彼は姉と喧嘩をしてしまった。彼は公園を飛び出し、一人で街中を泣きながら歩いていた。泣いている彼に声をかける大人はおらず、姉もいない中歩く街並みは幼い彼にはとても恐ろしく感じただろう。だがそれは妖魔の現れによって更に倍増させられた。逃げ惑う街を行き交う人々、怒声や泣き声、悲鳴に彼は完全に動けなくなってしまっていた。涙を流しながら恐怖で動けない彼の前についに妖魔は到達した。彼を見下ろして舌なめずりをする妖魔、彼は己の死を覚悟した。
『巴!』
『お、おねぇ、おねぇちゃん』
だがその時、彼の名を呼ぶ声が聞こえ、その体は後ろへと引っ張られた。彼の腕を引っ張ったのは他の誰でもない姉だった。ようやく動けるようになった巴は震える声で姉を呼ぶ。姉は妖魔を睨みつけたまま彼の腕を引っ張って自分の後ろへと隠した。まるで守るかのように。妖魔はじりじりと2人に近付いて行く、2人もゆっくりと後ろへ下がっていく。ついに痺れを切らした妖魔が2人へ襲いかかる。姉はそれを察知したのか彼の腕を引っ張って一目散に後ろへ駆け出した。姉に引っ張られる彼は時折振り向いて妖魔の様子を見る。妖魔は2人を逃がすまいと口を大きく開けて今にも喰らいそうだ。その様子を姉に伝えようとするも恐怖で声が出てこない。姉はただ真っ直ぐに道を掛けていき、彼は姉に腕を引かれ、妖魔はそんな2人を喰らおうと追いかけていた。
『あーもう!巴!』
姉は急に叫ぶと彼の腕を前に投げるようにして引っ張った。彼の体は姉より前に飛び出して肩を誰かに掴まれた。そのあとの光景はスローモーションで流れていた。優しく微笑む姉と、そんな姉に襲いかかる妖魔。伸ばしても姉には届かない手に前へ進もうとしても後ろへ引っ張られる体。姉の背中から飛び散る血飛沫に姉を助けようと妖魔へ斬りかかる大人。泣き叫び姉を求める彼を押さえつけて落ち着かせようとする大人の声に、姉を救うために急いで手当てをする大人の指示を飛ばす声。周りは混乱に包まれて彼もまた、その混乱の中で彼もまたパニックになっていた。もし自分が公園を飛び出さなければ、妖魔に出くわした時にすぐに逃げていれば、そんな後悔が幼い彼の中を駆け巡るが、何も出来ない無力な彼にはただ泣くしかなかった。
姉はなんとか一命を取り留めたが、背中に大きな傷跡が残ることになった。姉は笑って『こんなの平気だよ』なんて言って彼を励ますが、それを見た2人の両親は姉を『落ちこぼれ』と呼び嫌うようになった。どうやら両親は姉のことを『嫁入りさせるための道具』としか思っていなかったらしく、背中に大きな傷跡を作った姉はキズモノとして使い物にならないと判断したようだ。だが彼だけは姉の味方であり続けた。あの時助けられた恩を返すため、優しく繊細な姉を守るため。幼い頃から筋トレをし体を鍛えて、いつかまた妖魔に襲われた時今度こそ姉を守るためだけに生きてきた。
だがその結果、彼が行き着いたのは『危険因子を姉に近付けないこと』。守るのは簡単だが1番手っ取り早いのは初めから姉に近付く虫を取り除けばいい。そうすれば姉はこれ以上傷付く必要がなくなる、と。そうして彼はシスコンへと育っていった。姉にやましい感情を持つ者は徹底的に排除し、例え友達であろうともその可能性がある輩は早いうちに芽を摘んでいた。だが姉はどうやら、その時の事を覚えていない、もしくは姉にとってその時のことは記憶に残すことのほどでもないようだった。不思議そうな顔をして見つめてくる姉に彼もここぞとばかりに見つめ返した。それに姉はため息をついた。
「もういいよ、次からは街で少し見つめてきた人にガンを飛ばすのはやめなさい。分かった?」
「でも、お姉ちゃん」
「分かったの?」
「…はい」
凄む姉に彼は勝てない。正座させられたまま既に1時間の説教を受けていた。姉に詰められた彼は渋々頷き、返事をする。その返事に姉は少し納得がいってないようだったが説教をやめて、キッチンへと戻って行った。姉の後ろ姿を見つつ立ち上がる。1時間ばかりの正座で足が痺れるほど弱くは無い。だが姉に怒られた、という事実が彼の気分を最悪なものにしていた。だがその気分はすぐに鼻を掠めた甘い匂いによって打ち消された。
「今日は巴の好きなアップルパイだったんだけど…?」
「ご、ごめんなさいお姉ちゃん。もうしないから、だから」
「ははっ、分かってるよ。お説教とオヤツは別だから。ちゃんとあげるからそんな泣きそうな目はしないで?」
焼きたてのアップルパイを持って現れた姉。それに巴は飛びつく勢いでまるで小学生のような謝罪をする。姉はいつものように優しく笑ってアップルパイをテーブルに置く。取り皿と包丁を取りに行った姉に着いていき、彼も紅茶を用意する。用意出来た紅茶とアップルパイの前で2人はいつものように仲良く手を合わせた。